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2005年7月

2005年7月31日 (日)

天香回味~薬膳鍋~

Yakuzennabe_3_thumb天香回味で薬膳鍋を食べました。

薬膳鍋のお店なので、一歩入るとスパイスの香り(漢方という感じよりは、スパイスという感じでした)がします。

お店の名前にもなっている天香回味は、モンゴルのチンギスハンが考案したといわれ、60数種もの天然の植物エキスを抽出したスープで食する鍋だそうです。

チンギスハンは、「天下を取るには強靭な体こそが必須。それには飲食による充分な栄養補給が最も簡単かつ有効な方法である」と説いたそうで、そのための料理を特別に開発させたそうです。

写真のように仕切りのついた鍋に2種類のスープが入っています。左が辛口(天香)、右がまろやか味(回味)です。この2つを好みの味に調節しながら食べます。天香の方は、かなり辛いので、回味5に対して、天香を1くらいの割合で食べました。

タモギ茸やしいたけなどのキノコとちんげん菜などのやさいがたっぷりで、とってもヘルシーです。ぶたしゃぶも美味しくて、普段はあまり食べないのですが、美味しいのでどんどんおなかに入っていき、冗談抜きに、1週間分くらいの量を食べてしまいました。
#手術をしたのでここ1ヶ月ほとんど食べられてなかったから1週間分の量なのですが、普通だったら2日分くらい?

また、30分以上煮込んだにんにくがとろとろになっていて、においがきつくてダメかな?と思ったのですが、とてもおいしくて、いくつも食べてしまいました。
#食後2時間内にミルクを飲むとにおいが気にならないそうです

Fukahire_thumb最後は、クロレラ麺にふかひれを乗せて、ラーメンにして食べました。フカヒレがすごく大きい!しかも一人1枚!!!

フカヒレの大きさに感動しながら、明日の朝はお肌ぷるぷるになるね~といいながら食べました。

美味しかったです :)

しかも、大量に食べたにも関わらず、胃もたれもせず、逆にとても元気になりました。

2005年7月30日 (土)

隅田川の花火

Hanabi_3_thumb世界中とはいえませんが、少なくとも両手以上の国で花火を見た中で、日本の花火が一番美しいと思います。

今日は、隅田川の花火を小学校時代の友達などと一緒に見に行きました。

さすがに、隅田川の花火を見に行くようになって8年目。混雑具合なども熟知しているため、比較的空いている場所でのんびりと花火を見ることができました。そして、帰りは、早めにリタイア。反対側の花火をフルで見ながらぶらぶらと歩き、電車が混む前に現地を離脱。三越前の台湾薬膳鍋のお店で、体に優しいお鍋をゆっくり食べ、楽しい土曜日を過ごしました。

さて、なぜ日本の花火が世界で一番美しいと思うかというと…

1) 細工が凝ってる: 特に隅田川は都心のど真ん中でやるということもありますが、全般的に日本で行われる花火は他国と比べ狭い場所でやるため、大きなものよりも、小さくても凝ったものが使われます。従って、他では見られない凝った技の花火が見られます。
2) 量が多く、花火を見た!という気分になれる: 隅田川は2万発で、時間も約1時間半と長めです。海外だと30分くらいで終わりになってしまったり、量が少なかったりして、「花火、あがったけど、もうおしまい?」と思うことがありますが、日本で見る花火は、花火をいっぱい見たー、という気分にさせてくれます。
3) 花火=夏、季節を感じさせる: 暑い夏にやることもありますが、浴衣の人がたくさんいて、季節を感じます。花火だけでなく、夏という季節を感じさせてくれる点が、美しいと思わせるもう1つのポイントだと思います。

Yukata_2_thumb余談ですが、今年は浴衣を新調したので、浴衣を着ていくはずだったのですが、夕方から雨になるという予報だったこと、そして、ものすごく蒸し暑く、熱も37度5分あり体調も今ひとつだったので、締め付ける浴衣を着ると具合が悪くなるかもしれないと思い、涼しい格好で行きました。100万人規模の人出といわれているだけあって、人、人、人…だったので、浴衣を着ていかなくて正解。

近所の夏祭りに着ていくことにしました。いつになったら出番が来るのかな…

日本の夏は、やっぱり、花火ですね!

2005年7月28日 (木)

銀座吉水流食生活

今日は、銀座吉水で、「銀座吉水流暮らし方教室~食編~ デパ地下にもコンビニにも頼らない食生活を目指して」という会に出席しました。新聞社に勤める私の友人が企画・主催をしていて、最近手術したばかりの私に「食も大事。ゆっくりご飯食べよう!」と誘ってくれたのです。

銀座吉水は、世界スローフード協会のモヨーリ会長が感動したと言われる食を提供してくださるお店です。

今日の会では、デパ地下やコンビニに頼る生活がカラダに与える影響について、生物学者である団まりな先生が講義してくださいました。そして、その後は、銀座吉水の女将、中川誼美さんが、手軽にできる「カラダの全60兆個の細胞の1個1個が喜ぶ食のスタイル」を直伝してくださいました。

「銀座吉水」が提案する暮らし方八か条 


  1. 体の「60兆個の細胞」は「食」が司る
  2. 食事をするときはテレビを見ない
  3. なるべく自炊する
  4. 口に入ってから出るまで―の責任を持って食べる
  5. 「安全」「自然」にこだわる
  6. 朝・昼・晩に食べる
  7. 間食せずに1度にまとめて食べる
  8. 冷たいものはなるべく食べない・飲まない

私は、7年前に大きな病気をして以来、なるべく添加物は口に入れない、有機農法で作られた野菜を使う、など、食生活はかなり意識している方だと思います。しかし、忙しくなるとどうしてもいい加減になりがちですし、お付き合いもあるので、お店はなるべく選ぶけれども100%選べないときもあります。だから、普通に暮らしているだけで、どうしても悪いものが口に入ってきてしまいます。

今回は、それが細胞にどのように影響を与えるのか、詳しい説明を団先生から伺うことができ、「添加物などを極力減らす!」と決意を新たにしました。

また、銀座吉水の女将が作ってくださった食事はどれも手軽に作れるものばかりなのに、とてもとても美味しくて、一緒に参加した友人は、切干大根を食べながら、美味しいと涙をこぼしていました。

カラダに優しいものは、心にもとても優しい気がします。美味しいものを食べると、おなかの中がふわーっと暖かくなり、カラダがありがとう!と言ってくれている感じがします。そして、心が何時の間にか元気になってくるのです。

海外生活が長かったこともあり、どうしても洋食に偏りがちですが、切干大根などの和の素材をうまく活用しながら、簡単だけれども、カラダに優しい、そして、心に優しい食事をしていこうと思います。

帰りは、オーガニック野菜を手土産にしてくださったので、明日の朝は早速、いただいたお米、きゅうり、いんげんを使った朝ご飯にしようと思います。

2005年7月19日 (火)

Quand Je Vois Le Soleil ~ラ・ピエトラ 愛を踊る女~

Affichequandjevoisle_thumbバレエを踊っていたことがあるから、そして、余命を宣告されたことのある身から、思わず観てしまったフランス映画。

「Quand Je Vois Le Soleil」(私が太陽を見るとき)が現題ですが、日本語訳ではなぜか、「ラ・ピエトラ 愛を踊る女」になっています。バレエ映画というよりは、とってもフランス映画。

シノプスは、Uni Franceによると下記の通り。

愛し合う二人、ラファエルとマルゴ。だがある日、二人はキャリアと芸術の頂点に達したエトワールダンサーのマルゴが不治の病に冒されたことを知る。絶望と怒り、諦めと抵抗に苛まれる中、何の手がかりもなしでどうやって歩むというのだろうか、必然と仮面は落ち、それぞれが本性を現さざるを得なくなる、あの言葉に絶する道のりを。この状況下で極限の道を取る以外に他の選択の余地がない、大いなる愛により結ばれたラファエルとマルゴは、本能の命ずるままこの愛を生き抜こうとする。一人には全てが終わり、もう一人には全てが可能でもう一度やり直しがきく、未知なる世界に身を沈めて。このことを受け容れ、選択の余地もなく、諦める、そんなことはマルゴにはできない。病が進んで肉体が彼女に背く一方、ラファエルがきっと別な女を愛するだろうという考えを受け容れて行こうとするマルゴ。拷問により奪われたこの未来に何とかしがみつきたい彼女であったが…。"

27歳でパリ・オペラ座のエトワールに登りつめたマリ=クロード・ピエトラガラが初主演した映画で、余命数ヶ月、死の直前まで踊ることを選んだマルゴの人生を描いたものです。バレエシーンがもっとあるかなと期待したのですが、あまりなくて残念でした。

死を直前にして、残された時間を戦って生きるのか、あるいは、延命して生きるのか、そのどちらを選ぶかで、人生に対するその人の主義が現れるのだと、そして、主義を貫きとおす人生は素晴らしいと思わざるを得ない、そんな映画でした。思いつめた表情で、激しく踊る彼女の姿はとても美しいです。

なぜとてもフランス映画だと思ったかと言うと..


  • 娘に嫌われるためにわざと冷たくあたるのですが、その陰で彼女へのビデオレターを作りつづけるのマルゴ。でも、そのビデオレターが、「自己中」以外の何ものでもなく、エゴをさらけ出すビデオなのです。こんなのを見てと娘に言っても、それは困るんじゃないかなぁ...と思わざるを得ない内容。同じような映画でMy Lifeというマイケル・キートンとニコール・キドマンの映画がありましたが、ビデオ・レターを作るのでも、アメリカ人とフランス人はここまで違うのか、と思う一面でした。

    #私がフランス人に偏見を持っていることは間違いありませんので、60%引きで読んでください

  • 夫に浮気を促したはずなのに、夫が実際に浮気をしていることに気付くと、夫の頭をピストルで打ち抜こうとするその行動。愛しているから他の女に奪われたくないと必死になる気持ちはわかるけれど、その前に浮気を促しているだろう...と思わなくもありません。
  • 日本人にはないだろうなぁ、と思ったのが、夫が気分がころころ変わる中、献身的に看病をするのですが、その裏で、浮気を楽しみ、女と逢瀬をするシーン。やっぱり、愛の国なのかしら?
  • マルゴは最後までガンに立ち向かうのですが、目はくぼんで、どこから見ても疲れた女。そんな彼女は、死のにおいを消すために香水をかけまくるのですが、最後まで女でいたい、生き抜きたい、そんな気迫がスクリーンを通して見えました。やっぱりフランス人?

個人的には、フランス語の現題となった(と、私が勝手に思っているのですが)、朝焼けを見ながらマルゴがガラスに顔を近づけるシーン、たった一人で命の重さと向き合う彼女の孤独の美しさに感動しました。

話は飛びますが、私が死を宣告されたのは、伝染病で、急性だったため、2日前だったのですが、数ヶ月あるといろいろ考えちゃうんだろうなぁと、思いました。2日だと、何を考えるヒマもなく、あまり現実味もないので、なんとなく乗り越えてしまいました。

死の宣告は受けたものの、意識ははっきりしていたので、その時にひたすら考えたのは、とってもくだらないことでした。大学の期末試験最中だったので、受けてない試験をいつ受けよう? ということ、そして、好きな人がいるけれど、その人にどうやって会って、自分の気持ちを伝えたらいいのか?ということでした。2日しか生きられないといわれてるのに、ホントにバカですよね...

そして、2日は生き延びたものの、衰弱がひどく何時死んでもおかしくないといわれていたのに、無理を言って、病院から実家に戻してもらいました。どうせ死ぬなら、実家の自分のベッドの上で死にたいと医師に頼み、病院からは3時間の車の移動中に死んでも責任はもてないと言われたそうです。

そんな状態にも関わらず、その夏、インターンとして働く予定になっていた日本の会社になんとしてでも行くんだと言い張って、その日までに元気になるんだと信じていた自分の楽天さが、今思うととても怖いです。その時どうしても日本に行きたかったのは好きな人が日本にいて、その人に一目会いたいという気持ちがあったからなんですが、そんなことが生きる原動力になるって、私ってホントに単純にできてるなぁ、と、映画を観ながら思いました。

新学期が始まってから分かったことなのですが、伝染病でクラスメートの6名が死亡。私を含む十数名が入院。そのうち学期があけて大学に復帰できたのは私1人だったそうです。

テストの結果が出ていなく、卒業の単位の確認をしに、担当教官に会いに行ったのですが、その時に、私の顔を見た担当教官がものすごくびっくりして、「生きてたの?死んだと思ったからテスト採点してないので、受けなおして」といわれたことを強烈に覚えています。

2005年7月11日 (月)

考える力を養う:オオカミ族の少年を読んで

Ookamibook_thumb最近、考えることを放棄している人が多いな、と思うことがよくあります。

忙しいのに売上が伸びないのはなぜか。マーケティング活動をやっているにも関わらず、新商品のマーケット認知が低いのはなぜか。

なぜか?を突き詰めて考えれば答えは出るはずなのに、ちょこっと考えただけで考えた気になっていたり、人によっては、まったく考えていないと思われる場合もあります。そして、リソースが足りないから、競合が出てきたから、などの言い訳ばかりを聞くような気がします。

それで、ホントに生き残っていけるのか? 

週末に、「オオカミ族の少年」というファンタジーを読みました。設定している時代が、私の大好きな、「ケイブベアーの一族~エイラ・地上の旅人」のシリーズに似ているので、週末に一気に読みました。この本は、6000年前に生きた人々の生活と知恵がベースにある小説です。

6000年前というと、自然のアクシデントはつきもの。この主人公の少年は、理由があって人里離れたところで父親と二人きりで育ちました。父親以外に人間は誰一人知りません。しかし、ある日父親が熊に殺されてしまい、一人ぼっちになってしまいます。一人ぼっちで生き抜いていかなければいけない、という状況にあり、失敗を繰り返しながら、頭を使って生きていく物語です。

先日紹介した冒険系の本でもそうですが、今置かれている状況で今あるリソース(自分の能力、もしいれば他人の能力を含む)でどうやって問題を解決するか?ということを真剣に考えながら生き抜いていくから、ストーリーになるのだと思います。

仕事でも、人生でも、最後は、体力と考える力を持った人が生き残るのですから、考える力は不可欠だと思いました。

頭を使わないで生きている人に頭を使ってもらうにはどうしたらいいんでしょうね?

2005年7月 8日 (金)

現実逃避:Matthew Bourneの「愛と幻想のシルフィード」

今週は、尋常でないほど仕事が忙しく、コンサルファーム時代と同じ時間帯で、コンサルファーム時代よりも短時間に大量の分析やスライドを書く生活をしていました。

心を亡くすと書いて、忙しい。本当に心がどんどん空っぽになっていく気がして、これ以上同じスピードで同じクオリティの仕事ができないと思い、急遽、Matthew Bourneの世界に逃避することに決め、PCを抱え、6時にオフィスを飛び出して劇場に向かいました。

ロマンティック・バレエの古典的名作と呼ばれる「ラ・シルフィード」を今まで何度も観ていたので、Matthew Bourneの手にかかるとこれがどうなるのかがとても楽しみでした。

Matthewが得意とする"物語の骨格はそのままに、その時代・その土地の文化に根ざしたユニークなキャラクター設定を施す"手法を観てみたい!

「愛と幻想のシルフィード(原題:Highland
Fling)」
は、現代のスコットランドに舞台を移し、バーのトイレで主人公はドラッグで飛んでいるところからスタート。(詳細は、サイトを見てください。http://www.la-sylphide.info/) そして、妖精は、ピュアなのかと思いきや、服は薄汚れて、誘惑の仕方もドラッグの中の幻覚といった感じ。現代的な設定で、クラシックが有名だからなおさら、その差が浮き出てくるように思えました。

ネタバレするので、詳しくは書きませんが、最後は妖精に人間となって彼と一緒に暮らすことを迫ったことから、妖精を殺し、そして自分も死んでしまう悲劇が訪れます。ユーモアの中に現代人が持つひりひりとした痛みを表現されていた舞台で、最後の妖精が羽を切り取られて死んでいくところは、人間の傲慢さと、人間として生きることの痛みが伝わってきて、ぽろぽろと涙がこぼれてしまいました。

Matthew Bourneは、22歳でダンスをはじめ(←非常に遅いです)、そして演出家になったと聞き、スワン・レイクを観たときにもすごいと思いましたが、スワン・レイクの原点といわれるシルフィードはさらに良かったです。

現実逃避した甲斐がありました。今週末、これで仕事ががんばれます。

2005年7月 3日 (日)

サブラのようなイスラエル

Photo_thumb昨日、知人の写真展、「Israel Day & Night」に行って来ました。 写真家の森口康秀さんは、元々オスカープロ所属で、モデルや俳優をしていらっしゃったそうですが、13年ほど前から、中東などの紛争地帯での生活を通じ、写真を撮られる側から撮る側にキャリアシフトされた方です。

たくさんの写真が展示されている中で、彼の写真展の入り口に飾られていた1枚の写真に引き寄せられました。それは、サブラと呼ばれるサボテンにできる果実の絵でした。表面には無数のとげがあり、手で取ろうとすると、このとげが突き刺さるそう。しかし、中身はとても甘く美味しいことから、イスラエルではユダヤ人をサブラのようだと表現するそうです。外見は棘だらけで、痛いし醜いけれども、中身は甘くて魅力的。また、乾いた大地に根を下ろし、どんな環境でも生きていく、その姿から、生まれ育った故郷から何があっても離れない決意の象徴ともされているそうです。

そんな決意を遂行するため、自らを守り、国を守るために、男性は3年、女性は2年の兵役があります。また、紛争地帯のため、各バス停に爆弾テロを監視するための警備員が配置され、日常の中に「戦争」がある国。でも、軍人を含めた全ての人が見せる日常の「幸福」。

多面性。これは、イスラエルを象徴していると思います。自然という観点からも、四国くらいの大きさに、砂漠と緑の両方があり、様々な表情を見せるそうです。この写真展では、イスラエルの多面性にフォーカスをあて、森口さんの感性で日常を写真というツールを使って切り出していて、いろいろなことを考えさせられました。特に、多面性というイスラエルの現実を通じ、命の重さとはなんだろう?と考えさせられました。

私自身は、扮装地域に住んだことはないのですが、10代半ばのある夏、とても治安の悪い地域で生活をしていたことがありました。どのくらい治安が悪かったかというと、警察の護衛なしでは外に出ることすらできないほどの治安の悪さでした。年中、銃声が聞こえ、道に血が飛び散っていることや、死んでいるかどうかは分かりませんが、人が倒れていることもよくありました。朝、寮から歩いて5~10分の教室へ行くのに、寮で全員集合をして、警察を呼び、銃で武装した警察官2~3名に護衛されながら、教室まで送ってもらいました。次の授業に移動するときも全て同じように警察に護衛されていました。そして、夜は、全員が生きているかどうかの確認があり、夜7時以降は寮から出られないようにカギがかけられていました。

銃で人を撃つとどうなるのか、ナイフで人を切るとどうなるのか。日常の中に大きくても小さくても戦いがある人たちは、それをよく分かっています。銃で撃たれ内臓が出たまま、苦しみながら死んでいく友達を看取ったり、仲のよかった友達が暴力に巻き込まれ突然帰らぬ人となる悲しみを知っています。だから、どこまで手加減をしたら大丈夫なのか、どこからが死に至るのか。日常の中で自然に身につけているのでしょう。

そんな教育のされ方がいいことだとは思いませんし、安全に暮らせるのが一番いいとおもいます。しかし、日本という穏やかな国に住んでいると、安全であるがゆえに、命の重さがだんだん分からなくなってくるように思います。

このような写真展を通じて、少しでも多くの人に、いろいろなことを感じてもらえたら良いな、と思いました。

2005年7月 1日 (金)

山中さんのコースター

Present_thumb今日は、ムギさんと一緒に、「山中俊治さんの毎日デザイン賞受賞を祝う会」に出席しました。

左の写真は、山中さんから出席者へのプレゼントで、彼がデザインしたアルミ家具S-tableの脚を輪切りにしたコースターです。シンプルですが、とても美しく、雰囲気があるので、コースターに使うよりもオブジェにしようかなと思っています。

彼のデザインするものは、シンプルで、しかも人に優しい設計になっているのですが、その中にも美しさがあり、とても好きです。

また、何よりも、彼の周囲には、人がよく、しかも非常に技術的に優秀な方が多くいらっしゃり、少数精鋭でモノを産みだしているように思います。それは、きっと、彼の優しく、でもこだわりがあり、率直に意見をおっしゃる人柄なのだなぁ、と改めて思いました。

この受賞を祝う会の中のスピーチで、「山中さんは宇宙人ではなく地球人のデザイナーです」という言葉が印象的でした。会場には、私から見ると、宇宙人がいっぱい。普段会わないデザイナーの方々が多かったです。

知り合いはムギさん以外は誰もいないのではないのではないか?と思っていたのですが、世間はとても狭かったです。昨年、「イノベーション」をトピックに一緒にパネルディスカッションをしたPinoのデザインで有名な松井龍哉さんが入ってきて、声をかけられたり、一人でたっている方がいらっしゃったのでお声をかけると、なんと13,4年前にインターンをした際の上司の奥様で、当時の話で盛り上がるなど、出逢いがありました。この上司の方も、ケータイ関連の技術ではかなり有名な方で、雲の上の方。今回はお仕事で来られなくなってしまったそうで、お会いできず、とても残念でした。

あまりたくさんの方とはお話はしなかったのですが、異分野の方とお話をするのはとても楽しいです。山中さんも帰り際に、違う分野の人と話すのは楽しいとおっしゃっていましたが、私も今日何人かとお話している最中に、いくつかアイディアがわいてきたので、これをベースにもう少し練ったり揉んだりして、ビジネスを産みだして見ようという気持ちになってきました。

このコースターを隣におき、こだわったモノ作りの大切さを忘れないようにしたいと思います。

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